オースティン『高慢と偏見』

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』
中野康司訳(ちくま文庫・上下巻)、小尾芙左訳(光文社古典新訳文庫・上下巻)

高慢と偏見オースティンは1775年生まれ。『高慢と偏見』の出版は1813年。

僕はそれこそ「偏見」があって、まったく「ジェイン・オースティンを読んでみよう」とか思う機会がありませんでした。

どういう偏見かっていうと、要するに、「年頃の女性が婚活するお話なんでしょ? 興味無いわ~」という感じだったのです。

しかし、世評の高さは疑えない。このモームもそうですけど、夏目漱石だってずいぶん褒めていたし。「まったく関心しない」と切って捨てたのはナボコフ先生くらいで。そんなナボコフ先生も、文学講義で『マンスフィールド・パーク』の方は取り上げてるし。

いくぶん重い腰を上げてという感じで読み始めてみたら、あらまあ、たいそう面白かったです。

子供の頃に、隣のお姉さんから譲ってもらって読んでいた少女漫画とそっくりでした(富永裕美さんとか)。ラブコメのおおもとはコレなんだな、と思いました。

文学史的に。といって、僕が文学史の何が分かるのかって、何も分かってませんけど。オースティンが面白いなと思うのは、彼女は18世紀後半のイギリスの小説をしこたま読んでいたらしいのです。で、その頃は、センチメンタルなのとかロマンチックなのとか、デフォルメされたヒーローやヒロインが出てくる小説が流行していたそうで。そういう小説を読んでいたオースティンは、それと同じような小説を書くようになるんじゃなくて、その逆を行くんですよね。

当時流行の理想的なヒロイン像に対して、アンチ・ヒロインな人物像を書いた。すなわち、いろいろと欠点のあるような人間を。

素晴らしい発想だったと思います。と、上から目線。

ああ、フローベールと同じ発想なんだな、と思いました。時代を画する作家ってのは、流行に乗るんじゃないんだな。逆を行くんだな、と。

といった、文学史的にどうとかっていうのはどうでもよくて、単純に面白い小説でした。

フィールディング『トム・ジョウンズ』

モーム『世界の十大小説』(岩波文庫)で取り上げられている10作品、全部の書影を撮りました。一作ずつ紹介いたします。

フィールディング『トム・ジョウンズ』
朱牟田夏雄訳(岩波文庫・全四巻)

トム・ジョウンズ

10作中一番昔に書かれた小説。

フィールディングは1707年生まれ。『トム・ジョウンズ』の発行は1749年。

このくらい古い時代の話になると、確かに風俗とかよく分からないですが、あまりそういうことを気にしないでも、楽しく読めました。本当はもうちょっと気にした方がいいとは思いますが。

フィールディングが小説を書くことになったきっかけが面白くて、リチャードソンの『パミラ』を読んで、こんな小説はけしからん! ということで、そのパロディの『シャミラ』ってのを書いたんですって。どんなのか、読んでみたくなりますよね。

その後何冊かの小説を書いて、最後から二番目の小説が『トム・ジョウンズ』。

刊行当時おおいにうけて、この小説を模倣した小説がずいぶん書かれたそうです。模倣して書かれたという小説はあまり残っている様子がありませんが、『トム・ジョウンズ』は不滅です。そういうもんですね。

『トム・ジョウンズ』で面白いところは、全部で18章だったかそのくらいあるんですが、そのそれぞれの章の冒頭に、小説の本編と関係のないエッセイが挟まるんです。

フィールディングが、自分はいかに前例のない新しい小説を書いているのか、っていうことを自慢していたりして。エッセイだけ読んでも面白い、っていうくらいのものです。

飛ばし読みを推奨するモームは、このエッセイは飛ばして本編だけ読んでもいいよ、って書いてるんですが、飛ばすのはもったいないと思います。

本編は単純な話です。トム・ジョウンズ君が生まれてから、成長して、恋をして、女の子のお尻を追いかけ続けて、さてどうなるやら? っていう感じです(だったと思います)。

いま『トム・ジョウンズ』って、案外手に入りにくいと思うので、この機会にいかがでしょうか。けっこうおすすめです。