10月の大阪の古本スケジュール!!

大阪の10月といえば……、四天王寺と天満宮の古本まつりですよね!

天神さんの古本まつりチラシ表
天神さんの古本まつり

というわけで今年もやってきました、読書の秋、古本まつりのシーズンです。

そのうえ今年の大阪はなんと! 阪神百貨店での古本即売会もあります!

これで10月の古本スケジュールがどういうことになったかといいますと。

10月8日(金)から四天王寺秋の大古本まつり。これが10月12日(火)まで

そして、10月15日(金)から、大阪天満宮にて、天神さんの古本まつり。これが10月19日(火)まで

さらに、10月20日(水)から、梅田の阪神百貨店にて、秋の阪神古書フェア10月25日(月)まで

10月の31日のうち、16日も古本即売会やってます! 半分以上! 異常!

寸心堂書店は、天神さんの古本まつりと阪神古書フェアに出店します。

あと、四天王寺の初日に、古本横丁さんのところにバイトに入っているので、見かけたら声かけてね。あるいは、顔合わさないように逃げて!

天神さんの片付けをしたその日のうちに阪神の設営もしないといけないという、なかなかにやばい段取りです。天神さんの閉店頃に寸心堂ブースに知り合いがいたら、「片付け手伝ってちょうだい!」って声かけるかもしれないので、その際はなにとぞ、なにとぞ……。

というようなわけで、2021年10月も、どうぞよろしくお願いします!

2021年9月の「たにまち月いち古書即売会」

今週の週末は、大阪古本界隈毎月恒例の「たにまち月いち古書即売会」です。

天神さんの古本まつりチラシ

9月17日(金)から19日(日)の3日間です。

緊急事態宣言が延長されたために、今回も8月に続いて、緊急事態宣言発出中のイベントとなってしまいますが、地味に細々開催しております。

皆様、感染に気をつけたり、体調に気をつけたりしながら、もしよかったら、「たにまち月いち古書即売会」、遊びに来てください。

よろしくお願いします。

来月10月は、「四天王寺秋の大古本祭り」「天神さんの古本まつり」があります。

寸心堂は大阪古書研究会所属なので、「天神さんの古本まつり」の方に参加します。

8月からすでに天神さんに向けての本の準備をしてきました。

1冊300円だけど3冊買ったら500円(実質1冊200円未満!)、みたいなコーナーを作って、わりと太っ腹に「300円でも安いでしょ!?」という本をどんどこ用意してます。

あと、今年の(今年も?)天神さんの百均は、かなり面白い本が集まっているような気がします。

大阪古書研究会のメンバーみんなで、8月のめちゃめちゃ暑い日に2トン車ピストンで引き取ってきた本が現在倉庫に待機中です。

四天王寺さん共々、天神さんの古本まつりも、どうぞよろしくお願いします。

10月15日(金)から19日(火)まで、大阪天満宮境内にて。

第24回 天神さんの古本まつり(大阪古書研HP)

8月のイベント予定、谷町月一ひとつ!

8月は、たにまち月いち古書即売会しか参加の予定がありません。

たにまちチラシ
たにまち月いち古書即売会

そのたにまち月いち古書即売会は、8月20日(金)から22日(日)までの3日間です。大阪古書会館にて。

しかし! コロナの緊急事態宣言中かなと思われるので、開催されなくなるかもしれませんし、イベント自体は開催されても寸心堂が参加を取り止めているという可能性もありますので、その辺りはご承知おき頂けたらと思います。

一応、参加するつもりで粛々と準備はしていようかと思います。

8月の関西の古書イベントといえば、何より「下鴨納涼古本まつり」だと思われます。

こちらは、8月11日(水)から16日(月)までの6日間です。

野外の古本即売会イベントは、僕は四天王寺さんと天神さんしか参加の経験はないですが、物量的に準備は本当に大変なものです。

下鴨参加店の皆様はすでに相当準備をしていて、これが直前になって開催できないとなると、相当がっくりこられるだろうなと思われます。

その際は、個々の町の古本屋さんに是非本を買いに行って下さい!

というようなわけで、8月も古本屋さんをよろしくお願いします。

7月の谷町月一、阪神古書ノ市に来て下さった皆様、告知ツイートをいいねやRTなどして下さった皆様、ありがとうございました。

7月は中頃から末まで大忙しでした。

対外的に、谷町月一、阪神古書ノ市が続いた以外に、業界内的に、所属する市会の業者市が三つ続いてました。

支部市の北東北書会があり、大阪二世会の出品準備から設営から当日運営、同じように近代資料会も出品準備、設営、当日運営とあって、このところ稀にみる忙しさでした。

年々体力が無くなってきているのでキツキツでした。

8月はできるだけインドアな仕事をして過ごしたいと思ってます。

もし、8月の谷町月一がやれていたら、大阪古書会館までねぎらいに来て下さい! よろしくお願いします。

7月の参加イベント、谷町月一、阪神

7月は、たにまち月いち古書即売会と阪神古書ノ市に参加予定です!

たにまち月いち古書即売会

たにまち月いち古書即売会は7月16日(金)から18日(日)まで。

大阪古書会館にて。
大阪古書会館は大阪メトロ谷町四丁目か六丁目から歩いて5分くらいのところにあります。
谷町筋を一路西に入った通りにあります。

ほとんど毎月やっている古本即売会で、サイズ感もちょうどいい感じだし、出店している古本屋さんみんな、ここで新ネタを下ろしがちなので、手前味噌ですがいいイベントだと思います。本好きの皆さまにおかれましては、ときどき覗きに来て下さい!

近所には厚生書店さんや、ちょっと足を伸ばせば槇尾古書店さんや古書象々さんやtoi booksさんもありますし、時々は本屋巡りするためだけにでも谷町四丁目から堺筋本町辺りに出てくるのも、おつなものだと思いますよ!

阪神古書ノ市

梅田の阪神百貨店での古書ノ市は、7月21日(水)から27日(火)まで。
毎年お盆の時期にやっている阪神の夏の古書ノ市ですが、今年はこういう日程になっております。

谷町月一と日程がズレてはいるんですが、谷町月一で並べた本を阪神に持って行くということはできない日程なので、谷町月一用と阪神用と、まったく別個に本を準備することになります。

つまりこの十日間くらいの間のイベントのために、がっつりイベント2回分の本を用意しないといけません。大変!

なので皆さま、どっちも来て下さい!

お待ちしてます。よろしくお願いします。

ぼくがどのくらいフロベールに心酔していたかというお話

『フローベール全集』9巻・書簡Ⅱ

 はじめて買った外国文学作家の全集はフロベール全集でした。
 古本で買ったのではなくて、筑摩書房に電話して送ってもらいました。

 そして上の写真は、その『フローベール全集』の書簡の巻の二巻目です。
 「付箋どんだけ貼るねん!」という状態になってます。
 付箋の突き出している部分には、ウォーターマンの万年筆にブルーブラックのインクでメモをしてあります。

 ちなみに、古本屋を始めてからは、本に線引きはもちろんですが付箋も貼らなくなりました。
 このように付箋を貼っていたのは、自分がいつか古本屋になろうとはまったく考えていなかったからです。
 やたらと本を買っている人に言いたいのは、人間いつ古本屋に堕してしまうか分からないので、本にはむやみと線引きしたり付箋貼ったりしない方がいいかもしれないよ? ということです。

 それはさておき。

 書簡の巻の二巻目というのは、主にフロベールが『ボヴァリー夫人』を書いている頃の書簡です。
 ちなみに『ボヴァリー夫人』はフロベールの処女作になるので、『ボヴァリー夫人』を書いている頃というのはつまりまだアマチュアです。

 ところが、まだアマチュアのくせに、この頃のフロベールはめちゃくちゃ偉そうです。
 ルイーズ・コレという女の人に、思いっきり上から目線で文学について講釈を垂れてます。
 芸術とはどういうものか、文学とはどういうものか、小説というのはどういうものであるべきか、ということを、繰り返し繰り返し繰り返し、「何度ほど言うねん!」というほど、書いて送ってます。
 ルイーズ・コレも、よくまあ、「もうええねん!」って言わないでいてくれたものです。

 おかげでぼくたちは、フロベールの芸術観、文学観、小説観というのを、かなり詳しく知ることができます。

 そしてぼくはある時期(つまり全集を買って読んでいた時期)からこっち、フロベールの文学観の影響を、めちゃくちゃ受けてしまったのでした。
 今でもかなりの程度、フロベールの文学観の影響下にあるだろうと思います。

 ただもちろん、影響を受けると言っても、自分がまったくフロベール的な感性を持っていなかったら、フロベールを読んで「うわぁ」ってならなかったと思います。
 つまり、自分にはまったくフロベールっぽいところがなかったのに、フロベールが書いているものを読んだら突然フロベールみたいになっちゃった、っていうのではなくて、もともとフロベールと好みが近いという素地はあったということではあります。

 フロベールがどういうことを書いていて、ぼくはそのどういうところに共感したのか、というようなことを書こうかなと思っていたんですが、引用というのはだいたいみんな読んでくれないものだと思うので、話はこれでおしまいということにしておきます。

 一応最後に、いくつか引用だけ投げ出しておきます。
 奇矯な人は、読んで下さい。
 それでもし、「フロベールの書簡が読みたい!」ってなったら、全集の端本を探して下さい。古本市とかで時々見つかります。

「始末に負えない幻想が、もう一度始めるようにとぼくを駆り立てるのです。行きつくところまで、圧し絞られた脳漿の最後の一滴を使い果すまで、ぼくはやります。分かるものですか! 偶然に幸運が舞い込むことだってあります。自分のやっている仕事を正しく把握し、不屈の意志を持っていれば、相当のところまでいけるものです。ぼくだけが感じ、他の人たちは口にしたことがなく、ぼくには言うことの出来る事どもがあると思えるのです。」

「何かを証明しようとする文学については、優に一巻の書をものするに足るほどの、言いたいことがあります。何かを証明しようと思う途端に嘘をつくことになります。始まりと終りは神のみの知るところ、人間が知ることの出来るのはその中間だけです。『芸術』は、天空における神のように、無限のうちに浮んだまま、それ自体完全なものとして、作者から独立していなくてはなりません。それに、証明しようと志したりしたら最後、人生においても『芸術』においても、およそ惨たる思惑はずれに陥ることは必至です。」

「情熱が詩を作るのではありません。個性を露わにすればするほど効果は弱まります。このぼく自身、いつもその点で誤りを犯してきました。つまり、ぼくはいつも自分の書くものすべてに自分の姿を見せてしまっていたのです。」「一つのことを現に感じていなければいないほど、それをあるがままに表現することが出来ます(一般性を保ち、あらゆる一時的な附随性から免れて、それ自体常にあるがままに)。」

「文学的な価値だけでは、あんなに成功するはずがありません。」「年間、最も売れている本は何か知っていますか? 『フォーブラ』と『夫婦愛』という、ごく下らない二冊です。もしタキトゥスが生き返ったとしても、ティエール氏ほどには売れないでしょう。」

「『アンクル・トム』は狭隘な書と思えるのです。この本は或る道徳的、宗教的観点に拠って書かれていますが、人間の観点に立って書かれるべきだったのです。責めさいなまれる奴隷に同情するためには、この奴隷が立派な男、良い父親、良い夫で、賛美歌を歌い、聖書を読み、彼を鞭打つ人たちを許してやるなどということは必要ではありません。こうなると、高貴な例外的なもの、従って特殊な偽りのものになってしまいます。」