文庫レーベル別思い出の一冊(中公文庫編):レーモン・クノー『地下鉄のザジ』


「文庫レーベル別思い出の一冊」を久しぶりに書こうと思い、これまでに書いたものを見返してみて思ったのは、「仏文ばっかりやん!」ということでした。

今度も仏文でレーモン・クノー『地下鉄のザジ』、生田耕作訳。

澁澤龍彦きっかけでフランスの翻訳物を読み始めたので、必然的に生田耕作にも行き当たりました。

澁澤龍彦とか生田耕作って、今思うと若い人に受けそうな感じがする(中二病感ある)し、それで若い時の自分が随分傾倒していたのだろうと思うのだけれど、いまどきの若い人はどうなんでしょう? 澁澤龍彦とか生田耕作とかその翻訳小説とか、読んでるんでしょうか?

『地下鉄のザジ』は映画にもなっていて、僕はこの映画もすごく好きでした。

まだレンタルビデオの時代。DVDじゃなくて、ビデオテープだった時代に借りて観たのが初めてで、その後DVDを買いました。

そのDVDはいつかの「たにまち月いち古書即売会」で売ってしまいました。そうやって思い入れのある本やDVDとお別れをしている毎日です。

上の写真のフォリオのペーパーバックも、中公文庫も、ジャケットの写真は映画からですね。

文庫のジャケットが、映画化した時にその映画の写真のジャケットになることが時々ありますが、そういうのはたいてい好きじゃないけれど、『地下鉄のザジ』のこのジャケットは、なんか許せる。むしろ好き。

それはもう、カトリーヌ・ドモンジョが好きだから。

『地下鉄のザジ』のカトリーヌ・ドモンジョか『ペーパー・ムーン』のテイタム・オニールか、どっちか。ってくらい好き。

最後に、生田耕作のことをあまり知らない人に向けて一言、二言。

生田耕作の翻訳の中で一番ポップなのがこの『地下鉄のザジ』で、これならわりと誰にでもおすすめできますが、生田耕作のこれ以外の翻訳は、あまりお子様にはおすすめできないようなものばかりです。

その辺がまあ厨二心をくすぐるところなわけで、あえてそういうところにこれから踏み込んでみたい! という人には、マンディアルグの短編集なんかをおすすめします。

マンディアルグの短編集は白水Uブックスで出てますが、最近はどうも絶版状態のようなので、どうぞ古本屋か古本即売会に足をお運び下さい。

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文庫レーベル別思い出の一冊(河出文庫編):澁澤龍彦『黒魔術の手帖』

これもおそらく自分で買ったのではなく、兄が買った物が家にあって、それを読んだのだろう。

この本が、はじめて読んだ澁澤龍彦。

その時は澁澤龍彦のことを何も知らないで、タイトルや扱っている話題で読んでみようと思って手に取った。

前に呉茂一『ギリシア神話』について書いた時と同じく、ファンタジー的な意匠に対する興味・関心で読んだだけで、書いた人のことについては、最初は特に注意を払っていなかったと思う。中学2年生くらいの頃。

ところが、この本を手にしてから6、7年後には、『澁澤龍彦全集』を買い揃える青年に育っていた。その間に何があったのだか。

いまこの本を読み返すと、中学時代の自分はこれをどんな気持ちで読んでいたんだろうかと思う。

「アグリッパやパラケルススによって見事に大系づけられた、古代から伝わる自然哲学風な高等魔術の原理によると、この宇宙には地の精霊グノーメ、水の精霊ウンデネ、空気の精霊シルフェ、火の精霊サラマンデルなどといった、いわゆる四大の精が存在しているのであるが……」

こういうのを読んで、まさか「なるほどこの宇宙には精霊ってのが存在するのかー」と思っていたわけではあるまい。

あるまいとすると、さてこういう記述にどういう距離感で接していたのだろうかと考えてみても、よく分からない。思い出せない。

自分のことなのに、子供の頃の「思い」がこんなにも分からないとは。考えても考えても真っ暗で、ちょっとせつない。

でも、ある時ふっと、思い出すことがあるのではないかと思ってもいる。「あ、あの時、こんなこと思ってたんだった」って、思い出せる瞬間が。

プルーストの例のあれ。紅茶とプチット・マドレーヌのやつ。無意志的記憶っていうの。あれがそれで、僕の身の上にもそれが起こることもあるだろうと思っている。

プチット・マドレーヌのエピソードの直前には、以下の文があって、無意志的記憶について、プルースト自身がはっきり説明してくれている。

「過去を思い起こそうとするのは無駄な行為である。知性のあらゆる努力はむなしい。過去は知性の領域の外、知性の手の届かないところで、何か具体的な、私たちが考えもしなかった事物のうちに(そうした事物が私たちに与える感覚のなかに)隠れている。死ぬ前に私たちがそうした事物に出会うか出会わないかは偶然による。」
――プルースト『スワン家の方へⅠ』(光文社古典新訳文庫・高遠弘美訳)

偶然によるんですって。僕の身の上にはそれが起こることなく死んでいく可能性もあるのかー。嫌だー。

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文庫レーベル別思い出の一冊(光文社古典新訳文庫編):シャルル・バルバラ『赤い橋の殺人』

光文社古典新訳文庫というレーベルが誕生した時は、ちょっと驚いた。

僕自身はその頃(十年くらい前)すでに、世界文学の古典的なものが好きだったけれど、世の中的にはそういうのはぜんぜん流行らないものと思っていた。

だから、こういうレーベルが誕生したことに驚いたし、それが光文社からということにも驚いた。光文社ってごりごりのエンターテインメント系出版社という先入観があったので。まあ偏見です。

しかし、世界文学の古典もそれを教養か何かのように、お勉強のように読むとアレだけど、そうじゃなく単に愉しみのために読むのであればエンターテインメントに違いないわけで。

十年前って、四十過ぎるとわりと最近だと感じる。

つい先日、交野のご当地アイドル交野星子ちゃんのYouTube動画を見ていると、一年前の出来事を「昔」って言っていて、「昔ちゃうやん!」って心の中でツッコミ入れたけど、若いと一年前って、かなり前のことと感じるものなんですかね。

四十過ぎると十年前ってわりと最近のことなので、レーベルができてまだ十年の光文社古典新訳文庫については、「思い出」という感じで振り返る一冊が思い浮かばなかった。みんな記憶が新し過ぎて。

そんな中で、シャルル・バルバラについてだけはちょっと特別な印象だったので、これを思い出の一冊ということであげることにしました。

光文社古典新訳文庫は、レーベルの名前の通り古典的な作品の翻訳なので、刊行されるタイトルはほとんど知っているし、他の版で読んだことのあるものも多い。読んでないにしろ、よくは知らないにしろ、はじめて聞く作家とかいうようなことはほぼない。

しかし、このシャルル・バルバラ『赤い橋の殺人』をジュンク堂天満橋店で見た時は、「え? 誰なん? ほんとに古典なの?」となった。ジャン=パトリック・マンシェットとかミシェル・リオみたいな系統の人かな? とか思ったり。

そしてその時に、訳者あとがきと解説を読んで、「これは読まなきゃいけない」と思い、実際買ってすぐ読んだ。

「シャルル・バルバラって誰なん?」って思っている人は、ぜひお近くの書店の光文社古典新訳文庫コーナーに足を運んで、訳者あとがきと解説を読んでみて欲しい。

こういうのが好きな人は、「こんな作家がいたのか!」という印象的な発見をすることになると思う。僕と同じように。

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文庫レーベル別思い出の一冊(集英社文庫編):ジャン=フィリップ・トゥーサン『浴室』


トゥーサンの『浴室』を思い出の一冊といってあげたけれど、実は、はじめて読んだのがいつだったのかも、この本を手に取ったきっかけが何だったのかも、ぜんぜん覚えていない。

もっといえば、内容だってよく覚えていないのだけれど。

ただ、読んだ当時、けっこう気に入ったのだと思う。『浴室』のあと、『ムッシュー』、『カメラ』、『ためらい』、『テレビジョン』と、すべて文庫に入ってからだけれど手に入れて読んだし、『浴室』と『ムッシュー』については映画も観た。

『カメラ』もトゥーサン自身が監督をして映画になっているということは知っていて、漠然と観たいなぁと思い続けているけれど、未だに観られていない。(トゥーサンがその次に撮った『アイスリンク』は観た。面白かった。)

集英社は『テレビジョン』までは、単行本を出してしばらくしたら、集英社文庫に入れてくれていたのだけれど、その後はぱったり入れてくれなくなった。

さらに。

最近(といっても二年以上前)、かなり久しぶりにトゥーサンの新作の単行本が出たと思ったら、なんと集英社からじゃなくなっていた。講談社からだった。

『愛しあう』や『ためらい』の文庫化はやっぱり期待できないんだろうか。ブンコスキーとしては残念。

ちなみに写真の『浴室』と『カメラ』の映画パンフレットは駒鳥文庫さんで手に入れました。

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文庫レーベル別思い出の一冊(新潮文庫編):呉茂一『ギリシア神話』

呉茂一『ギリシア神話』(新潮文庫)

今でも新刊で買える大ロングセラーの文庫。

中学生の時に読んだ。

おそらく自分で買ったのではなく家にあったのだと思う。家にあったのだとしたら、親が買ったものではなく兄が買ったものだったろう。

うちの親は、父は実用的な本しか読まない人だったし、母は小説をたくさん読んでいたけれど、それはほぼすべてミステリーだった。

その母の影響で、僕が小学生から中学生にかけてよく読んでいたのは赤川次郎だった。赤川次郎はかなり読んでいたと思う(実家に帰るといっぱいある)。

それで中学一年の夏休みの読書感想文は赤川次郎で書いた。どれか一冊を読んでというのではなく、それまでに読んだものを全部ひっくるめて「赤川次郎について」書いた。

この方法(一冊の本についてではなく作家について書くという方法)は、結局中学三年間貫くことになったのだけれど、その話はまたいずれ。

この『ギリシア神話』が思い出の一冊だというのは、その後、神話とかフォークロアとか、古代の遺跡だとか西洋の歴史だとか、中世だとか、つまりはファンタジー的な意匠に対して興味・関心を深めていくことになった、最も最初の頃に手に取った一冊だから。

そもそもそういう方向に関心が向くことになったのは、確実にロールプレイングゲーム(RPG)の影響。

RPGとか作る人になりたかったなぁ!

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