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たいていホンの話(2)

エッセイ

このところ小説より、小説じゃない文章を読む時間の方がずいぶん長かったんだけど、先月はまあまあ小説を読んでました。短編ばっかりだけど。

自分がどういう小説を好ましく思うかって、だいぶ分かってきていて、逆に言うと、どういう小説を読んだときには「あ、こういうのはちょっと……」ってなるかっていうのも、そこそこ言語化できるくらいに分かってきているような気がする。

何を言っているのか理解されにくいかもしれないけれど、僕は面白い小説がしばしば苦手なんです。

面白い小説が苦手だということを説明するのって――つい今し方自分の好みを「言語化できる」とか大口叩いたばかりなのになんですけど――けっこう難しい。

先月読んだ小説で、一番くらいに「面白かった」かもしれないのは、ブライアン・オールディスの「キャベツの代価」というSF小説なんだけど、この小説なんかが「面白くって苦手」というのの、けっこう典型的なものだったかもしれない。

どういう点が苦手か具体的に言おうとしたら、この小説のネタバレになるので言わないんですけど、ざっくり一般論として言うと、僕が苦手だと感じるのって、お話を面白くするために導入したフィクション(作り話)の部分が「デキ過ぎている」ような場合。

フィクションがよくできているから、面白いは面白いんです。読み終わった瞬間「おーっ!」ってなもんです。

でも、そのよくできたフィクションについてよくよく考えると、これは小説を読む体験を面白いものにするためだけのでっちあげじゃないか、みたいなことを、ちょっと思ってしまうんです。

じつはこういう風に感じてしまう感性って、子供の時からなんです。

以前べつのところで「エンタメ小説の違和感のお話」なんていう文章を書いたんですけど、その時も同じようなこと、書いてました。

それはさておき――さておかないんだけど――、じつはこのことは、はなからエンタメですっていう小説や映画やドラマについては、本当はあんまり気にならないんです。

「そういうもんだ」と思って読んだり観たりするから。

シリアスな小説や映画のフリをしているのに、根っこのところで「エンタメの技法と同じことしてるやん」っていうときに、「あ、こういうのはちょっと……」ってなるんです。

で、オールディスの「キャベツの代価」は、べつにシリアスぶってないので、いいんです。苦手な要素はあるけど、面白かった、ということで、ぜんぜんいいんです。

「こういうのはちょっと……」という要素は、どんなに好きな小説にもあるときにはあるんで、「こういうのはちょっと……」って思うことと、その小説を好ましく思うかどうかって、関係ないというかなんというか、もっと言うと、小説ってすべてただ「個別の小説の印象」があるだけで、それについて優劣言うのは趣味じゃないなぁと、最近では思ってます。

小説のできについて優劣はあると思うんですけど、僕と個々の小説との関係においては、小説の優劣とか問題にならないなぁ、ということなんですけど、どんどん何を言っているのか分からなくなってきたので、今日はここまでにしておきます。

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