「はじめての海外文学」という話でもないけれど

ツイッターで「#はじめての海外文学」というハッシュタグをつけて、自分のはじめての海外文学が何であったかをツイートするという大喜利があって、僕も参加してみたい気はあったのだけれど、正直な話、最初に読んだ海外文学が何であったかまったく覚えていない。

実家にある本をひっくり返したらいろいろ発見できそうで楽しそうではあるけれど、今は実家に居るわけではないし、仮に実家に居たとしても、古い本は押入の奥の段ボール箱の中なのでひっくり返すのもなかなか骨が折れるだろう。それでもやってみたい気はする。

それはさておき、高校生の時分にどんな本を読んでいたかについてはわりと記憶に残っていて、そこには翻訳小説もだいぶ含まれている。ミステリーが多かった。高校と自宅の間に(ちょっとまわり道すれば)本屋があってよく立ち寄っていたけれど、そこではハヤカワ文庫と創元推理文庫の棚を見ていた印象しかない。

高校生の頃に何を読んでいたかを思い出したところで、これはぜんぜん「はじめての海外文学」ではないはず。もっと若い時に何かしら読んでいると思う。小学生の頃は、あまり本を読む子供ではなかったけれど、まったく読まなかったというわけでもないので、原作は外国の物語だということを意識せずに何か読んでいた可能性はあると思う。

あると思うけど、とにかく覚えていない。

それがはじめての海外文学というわけではないけれど、かなり古い記憶として覚えているものが一つある。

泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅というところにパンジョという商業施設が今もあるけれど、僕が子供の頃からあって、そこの一階だったと思うのだけれど書店が入っていた。その書店の名前は駸々堂(しんしんどう)書店。うちの屋号は寸心堂(すんしんどう)書店。似てるのは偶然ではないです。寄せました。余談です。

その駸々堂書店の奥の方の文庫棚の上から二段目くらいのところで、評論社の『指輪物語』(当時は全6巻、瀬田貞二訳)を見つけた、という記憶がある。

見つけたというのは、つまりは探していたというわけで。

子供の頃、RPG経由で剣と魔法のファンタジー好きだったという話は何度でも書くけれど、ファンタジー好きならどこかの時点でトールキン『指輪物語』には関心を持たずにはいられなくなるに決まっている。ミステリー好きでホームズを無視するのがあり得ないのと同じことで。

そういうわけで、はじめての海外文学というわけではないに違いないけれど、けっこう古めの記憶としてトールキンの『指輪物語』を探していた、というのがある。中学生の頃。

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