活字中毒って死語ですか?

「活字中毒」という言葉を知ったのは、そんなにはっきり記憶にはないけれど、きっと椎名誠さんの『素敵な活字中毒者』(集英社文庫)とか『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』(角川文庫)を手にした頃のことだったろう思う。

後者についてはその頃テレビドラマにもなっていたはずで、観た記憶がある。なんにも覚えてないけれど、「観た!」という確信だけ不思議とある。

僕自身はとくに活字中毒者であったことはない。

最近ツイートで、「本を持たずに家を出てしまったのでそわそわする」というようなことを書いたけれど、そわそわする時もあるけれど平気な時もある。その程度。

だいたい、本を持っていなくてもiPhoneさえ持っていたら、そこにキンドルが入ってるしキンドル内に読みたい電子本がいくらでも入ってる。読む物には困らない。

最近ふと「活字中毒」という言葉を使ったのだけれど、今時「活字中毒」なんて言葉はどういうことになってるんだろうと思った。使う人いるんだろうか? と。

最近の本は活字ではないわけで、現代に「活字中毒」と同じ意味合いの言葉が作られるとしたら、何と言えばいいんだろうと考えてみたけれど、思いつかない。

しかし、ツイートを検索してみると、今でも、どうも若いらしい人たちも「活字中毒」って使っているみたい。死語ではないのね。

昨年の大晦日に山羊ブックスさんでリシャールの『詩と深さ』を買った時、山羊さんに、この本が活版印刷だってことをさりげなく教えていただいて、本の内容にしか注意がいってなかった自分を恥じた、ということがあった。

古本を読む人は、今でも「活字」を読んでいるわけですね。

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