2月の即売会準備中:ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』

ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』

『読んでいない本について堂々と語る方法』の人の、それ以前に出ていた単行本です。

アマゾンでむやみと高値がついているので、手放したらもう手に入れられないかもしれないと思い、先の週末に読んでみました。

まず、『アクロイド殺人事件』を読んでいない人は、この本を読んではいけないというタイプの本です。つまり当然ですが、ネタバレしてます。ものすごく詳細に渡ってネタバレしてます。

『アクロイド殺人事件』については、ミステリーに興味を抱き始めたらできるだけ早いうちに読んでおいた方がいい作品だと思います。

それは、この作品が傑作かどうかとは関係なしに(僕は傑作だと思うけれど)、この作品のネタバレには、うっかりしているとどこかで出くわしてしまう可能性が高いから。

僕みたいに、読んだ本の内容を見事に忘れられる才能の持ち主であれば、『アクロイド殺人事件』を二度読んで二度目にもびっくりできたりしますが、さすがにそんな僕でも三度目は騙されません。ピエール・バイヤールのこの本も読んだし。


この本でネタバレしているのは、『アクロイド殺人事件』に限りません。クリスティのポワロものの有名どころはことごとく、犯人やトリックがばらされてます。ので、これからポワロものをいろいろ楽しみたいと思っている人は、この本は最後に取っておいた方がいい、というようなものです。

ただ、ポワロものを十分楽しんだ後でこの本を読むと、刺激的な論考で面白いです。

この本のタイトルの主題は、ちゃんと追求されて最後に一つの答えが出されます(アクロイドを殺したのは実はコイツだ! と)。それ自体面白いけれど、ミステリーの読みの実践を通して、より広い射程で、小説とはどういうものか、それを読んだり解釈したりすることはどういうことか、というところまで考えさせられます。

この本を読んで、いま僕がすごく気になっているのは、ソポクレスの『オイディプス王』です。ピエール・バイヤールが『オイディプス王』について面白い指摘をしていたのです。

父ライオスを襲って殺したのはオイディプス一行ではなかったかも? っていう。テクストに沿って読むとそう読めると。いやぁ、確認したい。

「たにまち月いち古書即売会」は2月17日(金)から。

「水の都の古本展」は2月21日(火)から。

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2月の即売会準備中:大友克洋『童夢』

これからしばらく、今月(2017年2月)の谷町月一と水の都の古本展に向けてコツコツ本を準備し続けることになるので、そうした準備中の本のうち、ちょっとひとこと言いたい本を、続々と紹介していきたいと思います。

大友克洋『童夢』

もう何回売ってるか分からないけれど、また新しく仕入れることができたので出します。

刷が比較的最近のなので、けっこう美本です。

大友克洋は最も好きな漫画家のひとり。

中学時代に『AKIRA』が映画化されて、普段劇場に映画を観に行くことはない中学生だったけれど、『AKIRA』は観に行きました。

当時は今みたいに、一回の上映ごとに観客総入れ替え制でなかったので、続けて二回観ることができました。

後にビデオが出たらそれも買ったし、芸能山城組のサントラCDも買いました。雑誌で『AKIRA』の特集号みたいなのが出ているのを買った記憶もあるし、映画化後ヤングマガジンでの『AKIRA』の連載中はヤンマガをずっと買い続けてました。

中学生の頃って、お金そんなに持ってなかったので、リアルで「本を買ったら帰りの電車賃が無くなった」ってやつを経験したことがあるんですが、それが、当時は住んでいるところの隣駅の深井の駅前にあった「わんだ~らんど」という漫画専門店で『AKIRA』を買った時でした。

深井から泉ヶ丘って、けっこう遠くて、今でも歩いて行こうとは思わないけれど、中学生時分にはもっと遠く感じたろうと思う。

『AKIRA』で大友克洋を知った後は、手に入る限りの大友克洋の単行本を買って読みました。おそらく『ブギウギワルツ』という単行本以外は全部、一度は所有していたはずです。

アキラ絵コンテ集も当然持ってました。今アマゾンで若干高くなってますが、僕は「パックンチョ」(だったと思う)と交換に手放しました。

新刊書店で働いていた時、お客さんでアキラ絵コンテ集が欲しいという人がいて、当時すでに版元絶版で取次でも在庫がないという状態でした。

しかし、僕の家にはある。で、あげたのでした。お礼にといってパックンチョいただきました。

ぜんぜん『童夢』の話にならないけれど。

『童夢』をまだ読んだことがない人は、ある意味ラッキーだと思う。日本漫画史上に残る傑作をこれから初めて読めるという意味で。

『童夢』に限らず、大友克洋の漫画を読んだことがないという若い人がいたら、『AKIRA』もいいけど全6巻と長いし、とりあえず『童夢』でもどうでしょう。

「たにまち月いち古書即売会」は2月17日(金)から。

「水の都の古本展」は2月21日(火)から。

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「はじめての海外文学」という話でもないけれど

ツイッターで「#はじめての海外文学」というハッシュタグをつけて、自分のはじめての海外文学が何であったかをツイートするという大喜利があって、僕も参加してみたい気はあったのだけれど、正直な話、最初に読んだ海外文学が何であったかまったく覚えていない。

実家にある本をひっくり返したらいろいろ発見できそうで楽しそうではあるけれど、今は実家に居るわけではないし、仮に実家に居たとしても、古い本は押入の奥の段ボール箱の中なのでひっくり返すのもなかなか骨が折れるだろう。それでもやってみたい気はする。

それはさておき、高校生の時分にどんな本を読んでいたかについてはわりと記憶に残っていて、そこには翻訳小説もだいぶ含まれている。ミステリーが多かった。高校と自宅の間に(ちょっとまわり道すれば)本屋があってよく立ち寄っていたけれど、そこではハヤカワ文庫と創元推理文庫の棚を見ていた印象しかない。

高校生の頃に何を読んでいたかを思い出したところで、これはぜんぜん「はじめての海外文学」ではないはず。もっと若い時に何かしら読んでいると思う。小学生の頃は、あまり本を読む子供ではなかったけれど、まったく読まなかったというわけでもないので、原作は外国の物語だということを意識せずに何か読んでいた可能性はあると思う。

あると思うけど、とにかく覚えていない。

それがはじめての海外文学というわけではないけれど、かなり古い記憶として覚えているものが一つある。

泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅というところにパンジョという商業施設が今もあるけれど、僕が子供の頃からあって、そこの一階だったと思うのだけれど書店が入っていた。その書店の名前は駸々堂(しんしんどう)書店。うちの屋号は寸心堂(すんしんどう)書店。似てるのは偶然ではないです。寄せました。余談です。

その駸々堂書店の奥の方の文庫棚の上から二段目くらいのところで、評論社の『指輪物語』(当時は全6巻、瀬田貞二訳)を見つけた、という記憶がある。

見つけたというのは、つまりは探していたというわけで。

子供の頃、RPG経由で剣と魔法のファンタジー好きだったという話は何度でも書くけれど、ファンタジー好きならどこかの時点でトールキン『指輪物語』には関心を持たずにはいられなくなるに決まっている。ミステリー好きでホームズを無視するのがあり得ないのと同じことで。

そういうわけで、はじめての海外文学というわけではないに違いないけれど、けっこう古めの記憶としてトールキンの『指輪物語』を探していた、というのがある。中学生の頃。

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文庫レーベル別思い出の一冊(河出文庫編):澁澤龍彦『黒魔術の手帖』

これもおそらく自分で買ったのではなく、兄が買った物が家にあって、それを読んだのだろう。

この本が、はじめて読んだ澁澤龍彦。

その時は澁澤龍彦のことを何も知らないで、タイトルや扱っている話題で読んでみようと思って手に取った。

前に呉茂一『ギリシア神話』について書いた時と同じく、ファンタジー的な意匠に対する興味・関心で読んだだけで、書いた人のことについては、最初は特に注意を払っていなかったと思う。中学2年生くらいの頃。

ところが、この本を手にしてから6、7年後には、『澁澤龍彦全集』を買い揃える青年に育っていた。その間に何があったのだか。

いまこの本を読み返すと、中学時代の自分はこれをどんな気持ちで読んでいたんだろうかと思う。

「アグリッパやパラケルススによって見事に大系づけられた、古代から伝わる自然哲学風な高等魔術の原理によると、この宇宙には地の精霊グノーメ、水の精霊ウンデネ、空気の精霊シルフェ、火の精霊サラマンデルなどといった、いわゆる四大の精が存在しているのであるが……」

こういうのを読んで、まさか「なるほどこの宇宙には精霊ってのが存在するのかー」と思っていたわけではあるまい。

あるまいとすると、さてこういう記述にどういう距離感で接していたのだろうかと考えてみても、よく分からない。思い出せない。

自分のことなのに、子供の頃の「思い」がこんなにも分からないとは。考えても考えても真っ暗で、ちょっとせつない。

でも、ある時ふっと、思い出すことがあるのではないかと思ってもいる。「あ、あの時、こんなこと思ってたんだった」って、思い出せる瞬間が。

プルーストの例のあれ。紅茶とプチット・マドレーヌのやつ。無意志的記憶っていうの。あれがそれで、僕の身の上にもそれが起こることもあるだろうと思っている。

プチット・マドレーヌのエピソードの直前には、以下の文があって、無意志的記憶について、プルースト自身がはっきり説明してくれている。

「過去を思い起こそうとするのは無駄な行為である。知性のあらゆる努力はむなしい。過去は知性の領域の外、知性の手の届かないところで、何か具体的な、私たちが考えもしなかった事物のうちに(そうした事物が私たちに与える感覚のなかに)隠れている。死ぬ前に私たちがそうした事物に出会うか出会わないかは偶然による。」
――プルースト『スワン家の方へⅠ』(光文社古典新訳文庫・高遠弘美訳)

偶然によるんですって。僕の身の上にはそれが起こることなく死んでいく可能性もあるのかー。嫌だー。

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文庫レーベル別思い出の一冊(光文社古典新訳文庫編):シャルル・バルバラ『赤い橋の殺人』

光文社古典新訳文庫というレーベルが誕生した時は、ちょっと驚いた。

僕自身はその頃(十年くらい前)すでに、世界文学の古典的なものが好きだったけれど、世の中的にはそういうのはぜんぜん流行らないものと思っていた。

だから、こういうレーベルが誕生したことに驚いたし、それが光文社からということにも驚いた。光文社ってごりごりのエンターテインメント系出版社という先入観があったので。まあ偏見です。

しかし、世界文学の古典もそれを教養か何かのように、お勉強のように読むとアレだけど、そうじゃなく単に愉しみのために読むのであればエンターテインメントに違いないわけで。

十年前って、四十過ぎるとわりと最近だと感じる。

つい先日、交野のご当地アイドル交野星子ちゃんのYouTube動画を見ていると、一年前の出来事を「昔」って言っていて、「昔ちゃうやん!」って心の中でツッコミ入れたけど、若いと一年前って、かなり前のことと感じるものなんですかね。

四十過ぎると十年前ってわりと最近のことなので、レーベルができてまだ十年の光文社古典新訳文庫については、「思い出」という感じで振り返る一冊が思い浮かばなかった。みんな記憶が新し過ぎて。

そんな中で、シャルル・バルバラについてだけはちょっと特別な印象だったので、これを思い出の一冊ということであげることにしました。

光文社古典新訳文庫は、レーベルの名前の通り古典的な作品の翻訳なので、刊行されるタイトルはほとんど知っているし、他の版で読んだことのあるものも多い。読んでないにしろ、よくは知らないにしろ、はじめて聞く作家とかいうようなことはほぼない。

しかし、このシャルル・バルバラ『赤い橋の殺人』をジュンク堂天満橋店で見た時は、「え? 誰なん? ほんとに古典なの?」となった。ジャン=パトリック・マンシェットとかミシェル・リオみたいな系統の人かな? とか思ったり。

そしてその時に、訳者あとがきと解説を読んで、「これは読まなきゃいけない」と思い、実際買ってすぐ読んだ。

「シャルル・バルバラって誰なん?」って思っている人は、ぜひお近くの書店の光文社古典新訳文庫コーナーに足を運んで、訳者あとがきと解説を読んでみて欲しい。

こういうのが好きな人は、「こんな作家がいたのか!」という印象的な発見をすることになると思う。僕と同じように。

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