辰野隆「人間バルザック」

人間バルザック

 濃い珈琲をガブガブ飲みながら、ペンの運びの最も凄まじい折には、一日に十八時間も書き続け、ペンの進みの悪い日でも九時間、善くも悪くもない日には十二時間、休みなしに創作に耽った輪転機のような多作家。
 空想の世界では実業を夢みて幾百万法(フラン)の利益を精密に計上し得たが、実生活に於ては、払い切れぬ借金の為めに、書いて書いて書きなぐった小説家。
 理想的な住宅を設計したが、二階に昇る階段を設けるのを忘れた迂闊な主人。
 佳い景色を眺めながら、興に乗じて殷々たる屁をぶっ放して、友人から絶交を申渡された東洋流の快男児。
 額縁だけを買って、その額縁の中にはルーベンスが在りドラクロワが在る筈だと見做して、眺め入った驚くべきヴィジョネール。
 十八年の間、ポーランドの貴夫人と親しく文通を続けた後愈々彼女と結婚の機に会し乍ら、竟に結婚の幸福を満喫せずに死んだ良人。

 彼の名はオノレ・ド・バルザック。フランス十九世紀の帝政末期から七月王政に至る半世紀の社会と人とを描き、その厖大な創作を一括して『人間劇』と名づけ、ダンテの『神曲』に対立せしめた文豪である。
 ロダンの傑作に、どてらのような部屋着を引っかけて、無頼漢のように突っ立っているバルザックの像があるが、あの姿を眺め乍ら『人間劇』を読むのが僕の読書の楽しみの一つである。
 僕はバルザックを読む度毎に、自分の下らなさなどは全く忘れて、文学は人間の一大事、よくぞ男に生れたる、とつくづく思う。
(『りやん』昭和10年7月10日)

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辰野隆「僕の書斎」

 辰野隆随想全集を繙読していた時に、「なんか短いしちょっと書き写してやれ」と思ってテキストにしたのが以下です。
 辰野隆は1964年に亡くなっているので、著作権的に掲載しても大丈夫なはずで、青空文庫にもすでにいくつかの文章が収められてます。

青空文庫:辰野隆のページ

 辰野隆(たつのゆたか)はフランス文学者で、東大の最初の日本人仏文教授です。
 谷崎潤一郎とは中学時代からの同級生で、随筆を読んでいると時々谷崎のことが出てきます。
 東大仏文の先生なので、教え子に有名な作家や学者がたくさんいますが、例えば太宰治もその一人です。太宰の小説に、辰野隆がモデルの先生が出てくるものがあります。
 僕は、小林秀雄について書かれた随筆がとくに好きです。また暇な時にでも書き写そうかと思います。

 では以下。


僕の書斎

 僕の書斎の生活は極めて簡単です。春と夏と秋は腰をかけながら、冬は同じ書斎の一隅の一段高い三畳に胡座をかいて、いくら読んでもあまり利巧にならない書物を、畢竟、忘れる為に読みます。不精で寒がりな僕は、冬は机の下に炉を切って、炬燵を据える工夫をしました。口の悪い友達に云わせると、こんな眠気を催す書斎を造ったのは大失敗だそうです。
 然しながら、睡眠を誘発しない書斎が、古来、如何に多くの主人公を発狂せしめ、殺戮した事か。僕は深く省みて、最も危険の鮮い道場を建立したつもりなのです。で兎に角、春夏秋に、椅子に凭れて居ねむりしながら、冬は、炬燵の上の机に靠れて、うつらうつらしながら、下手の横好きの僕のフランス文学玩弄を、のらりくらり、とやっているわけです。
 僕の書斎は、大成功だと思います。
(『あ・ら・かると』昭和11年6月1日)

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