だいたいホンの話(5)

IMGP0874 高校生の頃に教科書で森鴎外やなんかを読んだ時は、明治文学ってすごい古いように感じたけれど、その後いくらか明治の文学に親しむようになると、少なくとも明治の後半(夏目漱石が小説を書き始めた頃)から、そうとう日本の文学からもモダンな印象を受けるようになりました。

もちろんこのことは、明治文学の方が変わったわけじゃなくて、僕の思い込みや偏見の方が変わったというわけですが。

今まだ若い人、たとえば十代の人たちは、明治文学はおろか日本の戦後の文学だって随分古臭いものという印象を持っているかもしれないなと思う。それは、僕自身が十代の頃にはやっぱりそうだったし。

僕が、明治文学をけっこうモダンだなと思うようになったきっかけは、漱石の小説だけでなく評論や手紙や、あるいは漱石について書かれたものなどを読み散らかした時かなと思う。

漱石が読んだ外国文学、それについての漱石の論評とか、漱石が哲学や心理学について触れた講演を読んだりすると、物の見方とか感受性において現代人とってまあ自分とですけど、ぜんぜん変わらないなと。それでモダンだなと。

 

 

だいたいホンの話(4)

IMGP0701 作家の年といえば、クイズダービーでおなじみのって、今時クイズダービーがぜんぜんおなじみじゃないわけだけど、フランス文学者の篠沢秀夫教授が、西洋の作家の作品の発表年度を和暦と対照するといった本を書いていたらしいですね。その本は見たことないけれど、『フランス文学講義』でも和暦を示すことがあったように思います。

それで例えば『ボヴァリー夫人』は安政4年ですか。

安政4年っていわれても、日本史に疎いからぜんぜんぴんとこないんだけど、とりあえず大政奉還の10年前で、江戸時代の末期でもうすぐ明治という頃ですね。

それが分かっても、僕はやっぱり歴史に疎いので、「へー……で?」という具合にしかならないのだけれど。

若い時は江戸時代と言われるとものすごく昔だと思ったし、明治でさえそうとう昔だというイメージだったから、19世紀のけっこうモダンっぽい小説が日本でいうと江戸や明治の前半くらいに書かれていたと聞くと、「やっぱ西洋進んでるなー!」と思ったと思う。

でも、自分が単に年を取ったせいか、それとも日本史に疎いとはいえ、主に文学史を通じて明治の時代の雰囲気を若い時とは違った風に感じるようになってきたせいか、まあまあそんなもんなのかなぁと思うようになってきたような。

 

だいたいホンの話(3)

IMGP0664 小谷野敦さんの本を読んでいて、小谷野さんがある作家の小説を読む時に、まず著作年譜を作るとか書いているのをみて、ああそうなのかぁと。勉強のできる人って、こういうところからして違うんだなぁなんて思いました。

僕はある小説を読む時に、その小説が作者が何歳の頃に書いたのかとか、ほとんど意識したことがなかった。

たまたま知っているという場合はもちろんあるんですけど。特に早熟の天才というタイプの作家の場合、ランボーとかラディゲとか、どうしたって読む前に知っちゃうし、そのことによる偏見も入っちゃう。若いのにすごいな! と。同じものを若くない人が書いていたらどう感じるのだか。

で、近頃は多少、作者がいくつの頃に書いた作品なのかということに意識がいくようになりました。

それで思ったのは、小説って年取ってから読んだらなお面白いんじゃないかな、ということでした。というのも、外国文学の有名どころの作品って、けっこう作者が年取ってから書いているんだなぁと気がついたから。

やっぱり、作者がその作品を書いた年頃になってから読んだ方が、あるあるネタじゃないけど、あーわかるなーという感じになったりするんじゃないかなと。

ところが、これは僕の偏見で、実際はぜんぜんそんなことないかもしれないけれど、外国文学の古典的な作品なんていうのは、若い人が背伸びして読むばかりで、いい年をした日本の大人は、あんまりそういうのに手を出さないのじゃないかなぁなんて。

文学っていうと青年のもの、みたいなイメージが。

もし実際にそうだとしたら、それはもったいないんじゃないかなぁなんて思ったりするんですが、どうなんでしょうね。

 

だいたいホンの話(2)

IMGP062359歳で『ロリータ』のあの感じを書くのって、どんな感じなんだろう。

僕は十代で『ロリータ』を読んで、ものすごく素朴に「ハンバート・ハンバートの気持ちが分かるー」とか思い込んでたけど、大いなる勘違いだったろうなと。

十代男子がああいうのを読んで共感してしまうのって、またまったく別のなんかなのかなぁなんて。

というか、十代男子の一般論にしたらダメか。僕以外のその年頃の男子がどんな風に感じていたのか(感じているのか)とか、わからないもんなぁ。

で、それでは一般論にしないで、僕自身がどうだったかということについて詳細に分析してみましょう、という風にはいかないですね。自分の十代の頃の性にまつわる話とか、シラフではできない。

ま、酔ってもしないけど。

 

だいたいホンの話(1)

2013年から2014年の年をまたいで読んでいた本はナボコフの『絶望』でした。

新年のおめでたい時に「絶望」ってのもなんですけど、べつに暗いお話というんではぜんぜんなかったです。むしろ、ユーモラスで楽しかったです。

ま、人は死ぬんですけどね。

年末年始バタバタと忙しくて、この本もほぼ外出中にしか読めなかったので、読み始めてから読み終わるまでにけっこう日数がかかりました。二週間くらいかな?

おおむね電車の中で読んでいて、最後の部分は、メルヴィルの小説の登場人物の名前が由来の某コーヒーショップに居る時に読みました。

面白かったです。

好みでいえば前の『カメラ・オブスクーラ』の方が好みではあるけれど、これはこれで面白かった。

読んでいる最中はあまり考えなかったけれど、最後の最後の方で、「あ、この感じは、ちょっとパトリシア・ハイスミスっぽい」と思ったんだけど、勘違いかも。主人公が××だ、というだけで。

訳者解説を読むと、『絶望』はナボコフが33歳の時の作品で、『ロリータ』は59歳の時って書いてあって、ああ、そうなんだと。『ロリータ』って、けっこう年いってから書いてたのねと。思いました。