だいたいホンの話(6)

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高校の時教科書で読んだ森鴎外の小説は『舞姫』だったんですよね。『舞姫』の冒頭は次のような感じ。

「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。」

同じ鴎外でも『青年』なんかだと、もうちょっと高校時分の僕でも読みやすかったのではなかろうかと思う。『青年』の冒頭は次のような感じ。

「小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。」

そうとう後者の方が読みやすいと思う。それもそのはずで、『舞姫』は明治23年で『青年』は明治43年。

現代人は20年経ったからといって文体がころっと変わったりしないだろうけれど、明治時代の日本語の書き言葉はすごい勢いで変化したみたい。僕自身で明治時代の文章を研究したことがあるわけじゃないけれど、中村真一郎の『文章読本』やなんかにその辺りことが書いてあったのではないかなぁ。

で、高校の教科書はなぜ『舞姫』だったのだろう。

鴎外の文章に触れるのが『舞姫』が最初だったら、他の鴎外の文章を読んでみようっていう気がしなくなっちゃいそう。

僕がいま、高校時代の自分に勧めるとしたら、『ヰタ・セクスアリス』をオススメするかなぁ。ま、高校の教科書には一番載りそうにない作品だけど。

 

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